創設理念

 多くの児童養護施設がそうであるように、児童福祉法が制定される以前に、享誠塾は創設されました。今日のように様々な補助制度のない時代で、創設者のほとばしる熱意だけで享誠塾が生まれたと言い切れます。この創設にかりたてたモノを理解することが、享誠塾が存在する原点を知ることだと考えます。

 享誠塾は、太平洋戦争終戦当時、各所に流浪する子供たちを見て、生山泰先生が、終戦直後の昭和20年9月から創設を企画し、翌21年4月、現在地に土地建物を借用して発足したものであります。

 遺稿『夢を尋ねて母の霊前に捧ぐ』から先生の理念等をみてみますと、生山先生が、戦後の世情を見てなぜ設立を思い立ったのかについて「この事業を志しめたものは母の育みの中に、必然的に生まれたものであることを認めざるを得ない。もし仮に、私が母の姿を見ていなかったら、このような社会事業の創設など、私の頭の片隅にも浮かんで来なかったろうと思う」と、その内的な動機を述べておられています。

 先生の母は、5歳時に母親、11歳時に父親と死別され、その後遭遇する様々な苦難をのり越えられ、その生き方を通して次のような幸福感を持たれたと、母の想い出の章で述べられています。

 「人間の幸福は立派な家に住み、美しい衣服を着、美味しいものは自由に食べられ、何不自由ない物質的に恵まれた生活の出来ることだけが幸福というものではない。人間の幸福には、それ以上に、精神的な幸福が大切だと思う。たとえ生活が貧しくとも、心に明るい生活の出来ることの方がもっと幸福ではないだろうか。その為には一家が平和であることだ。社会が争いのない姿であることだ。しかしそれには忘れてはならないことがある。お互い顔形の異なっているように、ものの考え方にも異なりがある。しかし、それだからといって、お互いに、言い張っていては、話にならない。譲り合いの心が必要なことをわすれて、一家の平和も、社会の平和もあり得ない」。

 建設の譜の章で「私は常に人の為になることをしてあげたいと念じている。他人の喜ぶ姿を見ることが自分の喜びであり、この心、この喜びこそ、私の利益なんだ、得なんだと考える」と、自分自身の在り方を述べておられます。また、子供たちには「お互いに他の人の為になることをしてあげようとする人になってほしい。それは、皆んなの心の中が、楽しく、潤いのある、明るいものになると考えるからだ」と食堂の一隅に掲げて、子供たちがそのような心情の人になって貰いたいと念じている、と記述されています。  この創設者生山泰先生の志によって享誠塾が今日に存在するのであり、施設創設へとかりたてた先生の意志が、享誠塾の養護理念の根底になるものと考えます。

養護理念

塾生の自立のために

  1. 塾生の最善の利益を考える。
  2. 塾生を敬い、愛する。
  3. 塾生との信頼関係を構築する。
  4. 塾生が夢と希望を持てる施設を作る。
  5. 明るく、安心して生活できる環境を作る。

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